私が術を学ぶ前、
私のパンチは単なるパンチで、
キックは単なるキックだった。
術を学んでからは、
私のパンチはもはやパンチではなくなり、
私のキックもキックではなくなった。
しかし、術を理解した今、
私のパンチはやはり単なるパンチで、
私のキックは単なるキックに過ぎない
BRUCE LEE
何故、Defficが選択肢となり得るのか
私達Defficはコンセプトジークンドーの流れを汲みます。しかし、ジークンドーの二大派閥(オリジナルとコンセプト)とは異なり、ブルース・リー師祖の直系団体ではありません。
それにも関わらず全国9拠点にまで裾野が広がり、陸上自衛隊の方々への格闘指導も多数経験しました。
何故、私達が選択肢になり得るのか。
私はコンセプトジークンドーで修行をし、先生不在時には指導を任されていました。脱退する前には原宿ゴールドジムクラスでの責任者も任されています。
しかしながら、正式な形で分派した訳ではありません。
私がDefficを旗揚げした理由は、コンセプトジークンドー在籍時に学んだブルース・リー師祖の哲学/理念と、生き様です。
コンセプトたる哲学/理念は
「必要なものを取り入れて、不要なものを捨てる」
「個人の資質に合った、パーソナルシステムの構築」です。
その構築のためにジュンファングンフーをベースにしながらボクシング、ムエタイ、総合格闘技、カリ・シラットをトレーニングしました。
しかし、現実的に門下生が自身にパーソナルシステムを構築できずにいる現状を目の当たりにし、その哲学/理念を遂行するためには一定の規範、指針を設定し、その中で形成することが近道だと思い至ったのです。
Defficという架空の個人が「必要なものを取り入れ、不要なものを捨てる」というシミュレーションを請け負い。カスタムできる雛形をいくつか用意することで、パーソナルシステムの構築を意識せずとも、完遂できるようにしたのです。
私の目指すものは完成されたものを受け継ぐ伝承ではなく、資質の異なる者が自らの武術を表現することができるものです。
私は自身を最強と錯覚し、Defficを旗揚げした訳ではありません。
自らの意志で、自らの想う道を進んでいるだけなのです。
師祖は様々な武術を研究し、取り入れ、自身の武術の哲学/理念を設け、構築していきました。中国武術界からの外人に教えるなという圧力も信念と実力を以って跳ね除け、道なき道を突き進んだのです。
Defficや私は「ジークンドー」の名前や看板が欲しいのではありません。
ブルース・リー師祖の熱い生き様を、魂を、私達は見続けているのです。
私達が偽物であるならば、その偽物を以って本物を凌駕しようとする。
これが私達Deffic IMMFです。
Deffic IMMF 代表 丹 勇二
団体Information
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団体名
Deffic IMMF(International Modern Martial-arts Federation)
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代表
丹 勇二
【プロフィール】
- 1973年
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東京都世田谷区に生まれる
幼少期に父から空手の手解きを受ける(父は元大日本帝国海軍、戦後空手家城秀美先生の弟子となる) - 2001年
- 六本木BPにてジークンドーを学び始める
- 2003年
- 六本木BPにてジークンドーの指導代行
- 2004年
- ムエタイ、ボクシング、サンボ、柔道経験者と自主練会発足
- 2005年
- ショー・コスギ塾東京校にてジークンドークラスを担当
- 2006年
- ゴールドジム原宿東京にてジークンドークラスを担当/ウエスト東京にてジークンドークラスの指導代行
- 2007年
- ショー・コスギ塾にて外部講師として武術クラスを担当
- 2007年
- Deffic始動
- 2007年~
- 複数の武術団体との交流を開始(意拳、合気道、古流柔術、太極拳、シラットなど)
- 2010年
- 秋田に移住
- 2012年
- 秋田武館開館
- 2012年~
- 陸上自衛隊秋田/青森駐屯地にて格闘指導複数回
- 2016年
- 陸上自衛隊岩手駐屯地にて格闘指導官養成の一貫で格闘指導2回
- 2017年
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陸上自衛隊弘前駐屯地にて格闘指導官養成の一貫で格闘指導2回
現在に至る
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沿革
2007年
Deffic始動
2012年
秋田県秋田市に秋田武館開館
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所在地
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代表電話番号018-802-0502